えりりんの発達障害日記

20代発達障害者の雑多ブログ

毒親と依存

こんにちは、えり(@viola_alauda)です。

先の地震で停電が続いていますが、北海道に住んでいる弟と友達のところは昨日電気が来たようで、ホッとしました。まだインフラが復旧していないところも1日でも早く復旧することを心から願っております。



さて、今日は依存と毒親をテーマにブログを書いていきたいと思います。

毒親とは、子供が成長する上で害となる親のことを言います。かくいう私も、毒親に育てられたアダルトチルドレンです。過去の記事でも触れましたが、今回は毒親の方を深く掘り下げていきたいと思います。

eri-mazai.hatenablog.com

毒親はいくつかの種類に分類されます。不思議なことに、毒親は皆同じような型で子供を虐待するのです。とはいっても人間ですから、分かりやすく一種類の型にはまる人もいれば複数の側面を持つ人もいます。私の母親は上記の記事で紹介した1〜3、つまり過干渉、ネグレクト、暴力の3つの側面を持っていました。

一番強かったのは暴力的側面です。少しでも生意気な態度を取れば殴る蹴るは当たり前、髪を引っ張ったり、家から追い出したり、暗いところに閉じ込めたり…挙げればキリがありません。

過干渉とネグレクトは一見対立するように見えますが、同時に存在しうるものです。私のケースで言えば、ネグレクトの側面は若干弱かったことも関係あるかもしれません。体裁を異常に気にする親だったので、餓死するほど食事が与えられないということはありませんでしたし、服も何故かブランド物ばかり着せられました。決してお金持ちな家庭ではないのですが、子供を使って見栄を張っていたのかもしれないです。

弟との差別もかなりありました。これは厳密にはネグレクトとは違う概念かもしれませんが、立派な虐待です。

よくある「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」です。私は姉なので部活に入ることも、ネットをやることも、お風呂に入ることも我慢しなければなりませんでした。やれば母親の機嫌が悪くなり、責められます。お前のせいでお金がないって、何回言われたことでしょう。一方で弟は部活に入り遠征などにも行き、今は専門学校に通っています。パソコンも買ってもらったらしいです。すべて私にはさせてもらえないか、自分のお金でやれと突き放されたことです。

過干渉は子供のプライベートに過剰に入り込んできたり、行動をいちいち監視してきたりすることを言います。買い物はもちろん、友達と遊んだりするのもいつ、誰と、どこで何をして遊ぶか許可を取らなければなりませんでした。報告ではなく、許可です。母親の機嫌次第ではダメと言われることもありました。こんなの異常ですよね。

遊ぶのすら自由ではなく、帰る時間も暗くなる前です。お泊りなんて許されません。こんな支配を受けているうちに無気力になり、健全な人間関係を築くのが難しくなっていきました。20歳を過ぎてもそれは続き、Amazonなどでものをこっそり買っても見つかれば怒られました。もちろん、自分のお金です。

無事に精神を病んだ私は自殺未遂を起こしました。見つかってはいない、というか意識を失う前に失敗してしまいました。自分の命すら始末できなかったんです。笑いものですね。

とはいえ、私はそこから抜け出すことができました。ばあちゃんの家への脱出作戦です。成人ならば連れ戻されないこと、仕事を辞めてもお金がもらえること、綿密に計画した上での家出でした。失敗したら今度こそ自殺してしまおうと思っていたため、決死の作戦でした。


しかし、抜け出した先のばあちゃんもまた、毒親だったのです。

ばあちゃんは、言ってしまえば典型的な過干渉親でした。それは母親からも聞いたことがあり、母親はそれがとても嫌だったと言っていました。しかし結局自分の子供に同じことをしているあたり、毒親は連鎖するものですね。

暴力もネグレクトもなかったので、ばあちゃんの家は私にとって天国のような場所になるだろうと思っていました。しかし、病気への無理解、母親よりもひどい過干渉に私は苦しみました。

うつは気の持ちようと言われたり、買ったものをいちいちチェックされたり、二階にある自室には入らないでほしいと言っているのに私のいない時に入られたり、遊ぶ人や時間を詳しく聞かれたり。住まわせてもらっている身のため不満を言うこともできず、ストレスは溜まる一方でした。うつや発達障害を理解してほしくてわかりやすい本を買ってあげたこともあるのですが、未だにそれは読まれないままです。

結局ばあちゃんの家でも耐えられなくなり、パートナーの力も借りて自立のためという名目で一人暮らしをすることになったのですが、本当にストレスフリーで、世の中はこんなに自由だったのかと驚く毎日です。

さて、半分愚痴のようになってしまいました(定期的に話して発散したくなるのです)が、言いたいことはここからです。


よく過干渉エピソードを人に話すと「心配されてるね」「愛されてるね」なんて言われることがありますが、そのたびに私はモヤモヤした気持ちになります。なぜなら、その認識は大きな間違いだからです。

虐待を繰り返す大人は、子供に依存しているのです。

特に過干渉型の親は、大きな不安が心の奥底にあります。それは子供が自分の元を離れていくことへの恐怖であったり、もっと漠然とした不安であったり。非力でまだ自分に依存しなければならない子供に暴力やネグレクトをすることで、恐怖からくるストレスを発散しているのです。しかし、大体の親はそんなことに気づいていません。むしろ、自分のしていることが虐待になるなんて夢にも思っていないでしょう。

毒親問題の厄介なところはこれです。端から見てどんなにおかしいことでも、本人は善意のつもりである。しつけ、激励などがよく使われますね。そして家庭というプライベートな空間は第三者が介入しづらいところですから、問題が浮上しにくくなる。

私のようにおかしい!と声をあげられる人は幸運です。幼い頃は親が絶対的な存在ですから、親から虐待を受ければ子供の自尊心は低くなるばかりで自分を責めてしまいます。私もおかしいと言えるようになったのは成人してからで、自責感情からは未だ逃れることができていません。

こんなふうに自尊心が低く、常に抑圧されている人達は精神的に自立していません。そういう人たちが大人になり子供を産んだら
どうなるでしょうか?

自身の根底にある不安や欲求を、未熟で従順な子供にぶつけ始めるのです。支配されていた子供は、大人になって他人を支配するようになるのです。

こうして虐待は連鎖します。自分の親はおかしいと、母親は言っていました。おかしいと分かっていても同じことを繰り返すのですから、無自覚な親はなおさらです。


虐待や依存をする大人は、精神的に未熟な人間です。未熟な人間が子供を育てるのですから子供は歪んで育ちます。

見方を変えると、母親もまたばあちゃんによる過干渉・支配の被害者であるといえます。しかし、それが子供に暴力をふるっていい理由にはなりませんし、一切同情しません。なぜなら母親は加害者であり、まともな人生を歩めなくした張本人なのですから。


3000文字も書いてしまいました。毒親のことになると熱くなってしまうあたり、私もまた精神的に自立できていないのでしょうね。なので私は絶対に子供を産みません。こんな思いをして苦しむのは、私一人で十分ですから。