メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

330日目 変わったなあと思うこと

こんにちは、えり(@fuchs_tagebuch)です。

遅くなってしまいましたが新年あけましておめでとうございます。お正月はコンサータの休薬日と重なったせいもありひたすら寝ていました。今年も変わらずメンヘラですがお付き合いいただけると嬉しいです。

新年一発目の更新ですが、相変わらず暗くてどうでもいい話ばかりです。

昨日ほんの軽い気持ちでやった性格診断で、本当に自分はどうしようもないなあと思うとともになんとなく自分の人生について考えていました。こちらのツイートです。

(ていうかこれ去年のうちにやるやつじゃないのか)

まあお遊びというかそんなに精密なテストではないので気にする必要もないのかもしれないですけど、結構当たってるんですよね。ネガティブで臆病、傷つきやすくて消極的と散々な結果です。自分がいかに根暗な人間なのか分かりますね。

私という人間は、大体診断の通りだと思います。けどそればかりじゃないと思えるようになっている自分に、少し驚きました。

大局的に見て、私の人生はクソです。まあハロナイでシェイマスが歌っている通り基本的に人生なんてロクなもんじゃないのですが、本当に不運な人生だったと思います。

あの親のところに生まれていなければ私は全く違う性格になっていたと思います。肉体的にも精神的にも虐げられ全く掃除のしていないホコリまみれの部屋で弟と一緒に閉じ込められ、「普通の生き方」を押し付けられた。発達障害に理解など当然なく親の掲げる普通と自分の能力の低さ、周りとの差にどんどん精神が追い詰められていった。就職もできずアルバイト先ではあまりのトラブルの多さに何度も上司と面談させられ、いじめと呼べるほどのものではないけれど周りから明らかに避けられていた。精神科に通っても薬で全て解決するはずもなくODに手を出した。気づけば自殺の道具を揃えていた。

こんなの、耐えられますか?

いえ、世の中にはもっと過酷な環境から逃げることもできない人が沢山いることも分かっています。けど、私は本当に辛かった。今でも強い口調……最近だとお笑い芸人のネタですら、心臓が苦しくなって泣きそうになってしまって、思ったより心の傷が深いことを実感しました。虐待によるトラウマだけではありません。自分の未熟さ、障害のせいで傷つけてしまった人達がいることも辛さの一端です。

どうして自分ばかり、と思う反面、自分を責め続けてもいます。自分のせいで不快になった人がいる、これといった才能もない、欠点しかない人間……生きていても迷惑しか掛けないのなら、やはり死んでしまうのが一番なのではないか。


と思っていました。少なくとも、一年くらい前までは。

正直今でも思わないことはありません。親のこともたまに思い出しては悲しんだり腹を立てたりします。ただ、頻度は減っている。

悲観こそすれど、それでも楽しいこと、嬉しいこともそれなりにあることに、ようやく目を向けられるようになってきたのです。今でも人生がクソであるという意見に変わりはありませんが、クソだからこそ、その中の幸せは際立ちます。

自分の中で最大の障壁であった親とはもう連絡すら取っておらず、一人で何も邪魔されずに自分のペースで趣味に打ち込むことができる。親に監視され気力すら奪われていた私にとって、こんな幸せなことはありません。人付き合いは苦手だけれど同じ痛みを理解してくれる人達がいて、心無い言葉をぶつけてくる人間とは関わらずに済んでいる。

幸せはすぐ近くに転がっていたなんて言いますが、今までの私は自分が苦しくて周りに目を向けられませんでした。

でも今は違う。少しずつだけど周りが見えてきて、嬉しいこと楽しいことを素直に受け取れるようになってきている。むしろこんなに快適で幸せで、いつかしっぺ返しがくるのではないかと思うくらいです。他人を傷つけたり嫌な気持ちにさせてしまった自分が、こんな気持ちになることが許されるのか?

自分が変われたのは、いつも言っていますがひとえに周りにいてくれた人達のおかげです。こんなマイナス点しかない人間を見放さず、見守って、優しい言葉をかけてくれた人達がいたから、自分は幸運にもちょっとだけ前向きになることができました。

こんなことを書いていると、(お前もそっち側なのか)と思う人もいるかもしれません。正直私も苦しかった時幸せそうにしている人間の言葉は苦痛でしかなかったので私がどうこう言えることじゃないです。すみません。ただ私は今ももちろん苦しいしメンヘラだけど、悲観しかなかった頃と比べて自分の変化が嬉しかったというだけです。

余裕が出てきたので、今度はかつて自分にしてくれたのと同じように、苦しんでいる人達を見守る側になれたらいいなと思いました。自分なんかに何かができるわけもないけど、ただそこにいるだけでも私は救われていたから、そんなふうになりたいと。

今年はそうした幸せを感じながら心穏やかに生きたいですね。たとえ幸せだと感じる心の動きが、辛い現実から逃げて自分を正当化するだけのものであったとしても、です。