メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

発達障害の敵は発達障害?

こんにちは、えり(@viola_alauda)です。

今日は頑張って真面目な記事を書きます。


私が思うに、当事者方々が抱える生き辛さの何割かは、他の当事者によるものだと思います。

生きづらさといえば、仕事ができない、周りとのコミュニケーションがとれない、衝動的に行動してしまうなど…発達障害特性によって周りと差ができてしまうことによるものだと思います。

しかし、発達障害スペクトラム状と言われるように比較的程度の軽い方から重い方までグラデーションのように存在しており、一概にどこまでが発達障害でどこまでが定型発達者と言い切れるものではありません。それでは困るので一応診断基準があり、それに当てはまる人は発達障害、当てはまる項目が少ないから発達障害ではないというふうに分けられていますが、あくまで便宜的なものであり、だからこそグレーゾーンという概念が出てきたのだと思います。

グレーゾーンとは発達障害の特性を抱えながらも診断が下りない人たちのことを指すものです。診断や病名はいくら重要じゃないと言っても、発達障害なら受けられるはずの福祉支援などが受けられず健常者と発達障害者の間でつらい思いをしているのは明白でしょう。もちろん、いわゆる定型発達者も発達障害的な特性をまったく持っていない人はいません。

このように、発達障害か否かのくくりには関係なく生きづらさを抱える人は大勢います。このグラデーション状の生きづらさこそが、より発達障害者を生きづらくしている原因なのではないかと思うのです。


というのは、生きづらさを抱えながらも仕事をして社会生活を送ることのできている発達障害が、もっと程度の重い、定職にすら就けない発達障害を批判し、見下す。そういった事例があるからです。

これは定型発達者の間でもよく見られます。「甘えるな、自分の若い頃は…」「(自分あるいは他の人ができるのに)どうしてできないんだ」これらはすべて、能力に差があるという当然のことを理解してないがゆえの発言ですね。

発達障害も、同じ発達障害というくくりで分類されるからか、そういった発言が見られることもあります。作業所に通われている方など経験があるかもしれませんね。無理解は定型発達者と発達障害の間だけではなく、発達障害者同士でも起こりうるということです。

その結果劣等感に苛まれたり、精神が不安定になってしまったり。生きづらさを共有して助け合っていくべきであるにもかかわらず、こういった悲しい出来事が起きるのです。

これらは、ひとえに自分の能力と他人の能力の見分けがついていないから起こることです。みんな違って当たり前なのに、そのことがわからない当事者があろうことか自ら生きづらさを生み出しているのです。

発達障害とは健常者と比べて能力の凹凸が大きい人の総称であり、中にはほとんど普通の人と同じように働ける人、作業所が限界な人、人と話すことすらできない人、様々な状態の方がいることを忘れてはいけません。発達障害発達障害を追い詰めるようなことのないよう、相互理解がこれからは求められます。