メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

19日目 苦痛の原因を考えてみた

こんにちは、まゆ(@fuchs_tagebuch)です。

今日は早く起きられました。最初に起きたのは8時くらいで、それから何度か寝て10時位に起きたと思います。就寝は1時くらいです。

早く起きられたので、コンサータを飲んでカラオケに行きました。開店前に到着したのですがすでに人が待っていて駅前だけあって人気だなあ…と思いました。そして、早く到着できたのでフリータイムに入れました。嬉しい。

最近ハマっているカンザキイオリさんの曲を皮切りにサンホラやボカロを歌いました。

今は案の定反動で辛い気持ちに支配されているのですが、この苦痛の正体をぼんやり考えてみました。

昨日知人と話したのですが、苦痛や絶望を回避する方法として、参照点を下げることを心がけたほうがいい、と言われました。

平たく言うと期待しすぎない、ハードルを下げる。

ごみ捨てやお風呂に入れて当たり前ではなく、できないのが前提でできたからえらいと思うようにすると。

私がよくやっているホメ療法ですね。100ではなく0を基準にして、どれだけ加点できたかを大切にするという…

しかしこれを実行するには「できない自分、0点の自分」を受け入れる必要があります。私の感じる苦痛はきっとそこが原因なんじゃないかと思いました。

私は虐待されて育ちましたが、常に完璧を求められていたように思います。

親に従順で当たり前、テストで100点取って当たり前、友達がいて当たり前…できなければ罵倒されたり、暴力を振るわれました。ひどいことだと思いますが、そういう幼少期を過ごしたせいで完璧でなければ人に認められない、自分自身も認めることができなくなってしまったのではないかと。

もちろん発達障害で人と関わるのが苦手、運動も苦手な私はその期待に応えることができません。努力しても努力してもダメ。この現実と幼少期にできあがった完璧で無くてはならないといういわば強迫観念とのギャップが苦しさを生み出しているのです。

今はできないことがあっても仕方ないと思いますしそれを責める人間とは縁を切りました。しかし、人格の根幹となる部分はなかなか変えられないのです。

参照点を下げようにも、それを認められない完璧主義の自分がいるのです。いくら頭で発達障害だから、できないことがあって当たり前だからと思おうとも、植え付けられた価値観を塗り替えるのは非常に困難です。

結果、何をしても自分の思い描く結果を出せず、自己肯定感も低く生きるのがただただ苦痛な人間ができあがります。ホメ療法はそんな自分への些細な抵抗です。思い込むことで洗脳しようとしているのです。ただそれも対症療法に過ぎず、しばらくすると発作のように自分を責め始めるのです。

どうすればいいかは私にもわかりません。むしろ教えてほしいです。カウンセリングは理解されなかったときが辛いので受けようと思えません。

RTした私と同じように生きづらさを抱えている方の漫画にこんな台詞がありました。「一度ぬか漬けになった野菜は二度と生の野菜に戻れない。覆水は盆に返らない」

本当にそのとおりだと思います。自分が無能だと、この世界が苦痛にまみれたクソみたいな世界だと、気づいてしまったらもう元には戻れないのです。

「できて当たり前」と思ってしまう自分を変えるのは今の私には絶望的に難しいです。それとも時間が解決してくれるのでしょうか。最も、それまでに苦痛に耐えきれずにこの世からログアウトしている可能性も高いですが。