メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

104日目 自分の障害とメンヘラについて考える

こんにちは、まゆ(@fuchs_tagebuch)です。

今日も家の中に引きこもってますが、筋トレ終わってから暑くてずっとクーラーをつけています。外は30℃あるんですね。もう夏のようです。

今着ている部屋着が冬用の厚いスウェットなので、そろそろ半袖に切り替えてもいい頃かもしれないですね。

さて、今日はずっと考えていた他者との関わりについて適当に思ったことを書いていこうと思います。

私は検査の結果ASDだということが判明しました。自閉症とかアスペルガーといった障害のことですね。ASDの中にもいくつか型があり、人と関わろうとしない孤立型、自分からは積極的にならないものの相手からの関わりは拒まない受身型、むしろ自分から話しかけにいって引かれる積極奇異型の大きく三種類に分けられると言われていますね。

すべての型に共通して相手の気持ちを考えられない、相手への興味や共感が乏しい、自分の状態を知ることが苦手といった特徴があります。

私は自分の感覚的には孤立型かなあ、と思います。完全な自己診断ですが、人と関わるのは本当に苦手です。呼びかけられても反応に乏しい、目線を合わせられない、とにかく人間関係が苦痛…できるならずっと一人でいたいです。

現に今も連絡を取っている友達はたったの二人です。それ以外の人は、連絡先すら知りません。学生時代は発達障害なんて全く知らず友達付き合いはしなければいけない、ぼっちになってはいけないという強迫観念のもと一応友人と呼べる存在はいましたが、学校以外で会うことはありませんでしたしずっと疲れていました。

ネットでのASDに関する記事や体験談を見れば見るほど自分は典型的なASDだなあと思います。それくらい人間関係を持続させるのは難しく、人に不快感を与えることも少なくありません。

ですが、この他者との関わりを拒みたいという気持ちと完全に対立する感情が私の中にはあります。認められたい、愛されたい、受け入れられたい、そんな欲求が人一倍強いです。矛盾しているようですが。

私は他人と関わりたくない気持ちはASDという先天的な障害ですが、肥大化した承認欲求は主に家庭環境からくる後天性のものだと思っています。

よく使われる言葉で表せば「メンヘラ」です。

メンヘラはメンタルヘルスに問題を抱えた人という意味のネットスラングなので定義はとても曖昧で包括的です。またイメージも付きやすいと思うので私もよく軽率に使ってしまうのですが、程度は人によって大きく異なるでしょう。私の場合は

・他人から認められたい、称賛されたい
・すぐにメンタルが落ち込んでしまう
・そういった自分を「構ってもらいたい」
・他人に極度に依存する

あたりを指して自分のことをメンヘラと言っています。そしてこれらは十中八九幼少期の家庭環境が絡んでいると思われます。

正常な家庭環境ならば、子供は親から無償の愛を貰い育ちます。愛され、認められて、自分という存在を確立していきます。しかし虐待のある家庭だと子供は一番身近で大きな他人である親から認められる経験が少なく、むしろ否定されて育ちます。

そうして大きくなった子供は、自分で自分を認める土壌ができていません。何をしても自信が持てず、自分を責めるようになります。他人のほうがいつも優れていて、自分はダメ。何かトラブルがあれば自分が原因なんじゃないかと怯える。そんな状況がずっと続けば、精神的に辛くなってしまうのは想像に難くないでしょう。

そんな子供でも、ふいに他人から褒められることがあります。お世辞でも褒められたことのない人はいないと思います。親も自分もずっとできなかった「認める」という行為が、他者によってなされるのです。

マズロー欲求段階説にもあるように、所属と愛の欲求、承認欲求は健康な人間ですら抱くものです。ですが、機能不全家庭で育った子供はそれらが満たされないまま成長するので(更にひどい家庭ではその下の欲求すら満たされないこともあるでしょうが)常に飢えている状態になるわけです。

断食したあとのご飯がとても美味しく感じられるように、ずっと否定されてきた自分が認められた感覚は強烈な快感を生み出します。ですが、ここからが問題なのです。

よくメンヘラを底が抜けたバケツと表現する人がいますが、そのバケツの底こそが自己肯定感、自分を確立させる土壌なのです。土壌がある人はきちんと経験をためることができるのでそれほど問題ありませんが、土壌が育っていない人間は一時認められてもすぐにその快感がすり抜けてしまいます。

例え話ばかりでかえってわかりにくくなっているかもしれませんが、そうなればあのとき得られた快感を求めて更に他人に認められようとします。本当に、薬物並みの快感なのです。

そしていわゆる構ってちゃんが完成します。メンヘラの正体は幼少期に人格を肯定されることのなかった人間が、その穴埋めをしようと他者を求める現象なのです。

しかし基本的にその穴埋めは叶いません。人格は幼少期に決まってしまい、成長してから変えることはできないからです。つまりいくら褒められようと認められようと自分で自分を認めることができず、他人から与えられる一瞬の快感に依存して生きていくことになるのです。

メンヘラは馬鹿にされがちですが、根底には深刻な愛情不足と自我の未成熟さが隠れているのです。

そういう意味で、私は他人を求めます。しかし前述したとおりASDは他人との関わりが苦痛に感じる障害です。他人と関わるのは嫌だけど認められたい、この2つの欲求が自分の中で二律背反を起こし、生きづらさを生んでいます。

恋愛などでは特に顕著に困難が現れます。恋愛はより自分が愛され認められる経験ですから、信じられないほど相手に依存します。ですが自己肯定感がないため相手がなぜ自分を好いてくれるのかわからず、信じられなくなります。好かれ続ける自信がない不安から相手を束縛します。

相手からしたら不快なことこの上ないですね。信じてもらえないのですから。やがて疲弊し、相手は離れていきます。愛され認められる機会を失い、否定された経験から、さらに自己否定のループにハマりメンヘラが加速します。

負のループですね。メンヘラに恋愛依存が多いのはこのためです。満たされない欲求を持続的に満たしてくれる最高の経験が恋愛なので、その先に待ち受けるのは拒絶のみとわかっていても、頼らずにはいられないのです。薬物やタバコだってそうですね。有害とわかっていても、地獄のような禁断症状があるとわかっていても、目の前の快感からはなかなか逃げられません。

ここまで当事者の視点から心理や現象を分析してきましたが、これらの厄介なところは他人を巻き込むところです。メンヘラに振り回された人間は確実に大変な思いをしますし、同じメンヘラになってしまうことすらあります。有害なのです。

だから私は非常に反省し、考えをまとめるために記事を書いているのです。

ASDは先天的な脳障害なので治すことは難しいですが、メンヘラは先天性ではない。じゃあなんとか治して、せめて他人に迷惑をかけず他人に依存しない精神状態を保つことはできないだろうか?そんなことをここ最近はずっと考えていました。

原因は整理できましたが、肝心の対処法は未だにわかりません。メンヘラと呼ばれる愛情飢餓、承認欲求の強さが幼少期の人格形成に由来するなら、なおのこと矯正するのは難しいんじゃないかとすら思います。それこそ、薬物や洗脳など深く根を下ろした経験そのものを塗り替えるようなことでもしなければ。

自分一人では多分答えが出ず、ずっと向き合わなければいけない問題なのでしょう。いっそ開き直れれば楽なのですが、他人を巻き込んでしまう性質上変えなければなりません。大切な人達を自分のせいで傷つけ続けるなんて耐えきれないのですから。

本当、どうすれば変われるんでしょうかね。愛着障害境界性人格障害など、何らかの人格障害が起きている可能性も否定できません。かといってカウンセリングを依頼したところで話したり相手に伝えることが苦手なので有効な手立てとは思えませんし…

なんて書いていたら文字数が3500字に到達しそうです。冗長で読みにくい文章は直さなければなりませんね。

とにかく、メンヘラはどうしたら矯正、または軽快するのか、本当に全く見当がつかずずっと悩んでいました、という内容でした。

メンヘラを治した(治るという表現が正しいのかはわかりませんが)経験のある人がいたらぜひ話を聞いてみたいですね。

では、また。