メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

293日目 創作すること

こんにちは、えり(@fuchs_tagebuch)です。

虫の件は憂鬱ですがもうしょうがないので絶対何があっても根絶する方針でいきます。

今日は暇なので適当に考えていたことをつらつらと書きます。

先に言っておきます。おそらく先人が死ぬほど議論してきたであろうことで、知識もない自分がどれだけ考えたところで意味がないし車輪の再発明です。あとで恥ずかしくなるので多分消します。最後に絵を貼るので本文は読み飛ばして絵だけ見ても構いません。ていうか恥ずかしいのでそうしてほしい

私は一次創作も二次創作もやっているのですが、創作クラスタの多くは絵や小説を通じてそれらを表現していますよね。私もその例に漏れず絵を描き散らしたり稚拙ながら小説も執筆しているのですが、作業中はひたすら脳内にあることをそうした形にできることに悦びを感じています。脳汁が出る……。

ただ、それらの行為になんの意味があるのだろう、自分の表現したいという欲求はどこから来るのだろうと考えてしまうのです。

何かを残したいから?誰かに知ってほしいから?同じような属性の人と共有したいから?

何かを残したいから書く(両方を指す時には便宜的に表現を統一します)のだとしたら、誰にも知られない作品に意味はあるのでしょうか。誰もいない森で倒れた木は音を立てたか?なんて哲学的な問いがありますが、誰も知らずに埋もれていく作品を残したところでそれは存在していないのと同じです。

だからせめて誰かに知ってもらうために書く、というのなら確かにその時は認知している人がいる点で意味があるのかもしれませんが、知っている人もやがて忘れていきます。というか100年後には今生きている人間は皆死んでいるだろうしもっと時が経てば人類が、いや宇宙自体消滅してしまいます。

どちらにせよいずれ消滅することは避けられず、自分の頭の中にあるだけ(自分だけが認知した状態のまま)と誰かに知ってもらうことは時間的な差があるだけでほとんど変わらないのではないか……と思います。

では他人とつながるために書いているのでしょうか。確かに同じ趣味の人とは仲良くなりたいです。Twitterで創作に反応を貰えればとても嬉しいです。しかしそのために書いているわけでは決してないと言えます。例え誰とも交流がなくとも表現したい気持ちに変わりはありません。

では一体なんのためにわざわざ脳内の物語を出力するのでしょうか。誰に知られずともよい、残らなくてもよいのなら頭の中で完結して一人で楽しむことで十分なのに。

では創作への欲求は一体どこから来るのか。別に創作なんてしなくても死なないのに、何が自分をそこまで突き動かすのか。承認欲求も十二分にあるかと思いますが、先述の通り創作に他人の存在は関係ありませんからそれだけではないことは明白です。

ちなみに答えは出ていません。わからん。

本能的な欲求、と言ってしまえば簡単ですが、何か納得できる説明はないかなー……なんてこの間お風呂に入りながら考えていました。



はい。それだけです。疲れたので絵を貼って終わりにします。腰が痛い。

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