メンヘラが生きるための日記

便所の落書きなので読まなくていいです。

336日目 読書をしました

こんにちは、えり(@fuchs_tagebuch)です。

昨日は模写をしたあと、疲れたので読書をしました。二ヶ月くらい前に三分の一くらい読んで放置していた「すばらしい新世界」を昨日の夜一気に最後まで読み進めました。

あれ、今までジョージ・オーウェル作だと思ってたんですけど全然別人でした。読書エアプを晒してしまった……恥ずかしい。

読む前に大まかなあらすじや面白い所を聞いていたのでかなり楽しく読めました。考察とか批評とか大層なことは読解力のない私にはできないので適当に感想をメモしておきます。一度読んだだけで記憶もガバガバなので、的外れなこと言ってるかもしれませんが大目に見てください。

一番おもしろかったのはやはり文明社会のボスであるムスタファ・モンドと野蛮人であるジョンが相見えるところでしたね。ジョンは読者の価値観に近い存在で、彼が統制官と話しているシーンはいわばあの世界のネタバレというか、狂っているともとられる世界のボスと自分が対峙しているようでテンションが上がりました。私は全くシェイクスピアを知らないのですが、作品の一節を引用しながらの応酬はなんかよくわからないけどかっこよかったです(作文)

しかし複雑で面白いなあと思ったのは、彼らは確かに異なる価値観の代表なのですが、文明社会と野蛮人の単純な二項対立として描かれているわけではないところでした。ムスタファ・モンドはかつて優秀な物理学者で、文明社会では猥褻で忌むべきものとされる芸術や宗教に造詣が深い。一方ジョンも、育ったところこそ未開の地ですが、母親は文明社会から来た人間で小さい頃から「すばらしい新世界」のことを聞かされていた。どちらも文明社会、野蛮人両方の要素を備えているのです。多分。

危険分子だと突き放すことはせず、ある時はジョンの訴えを肯定しながらこの世界がいかに安定しているかを説いた。結局、ジョンは彼に勝てなかったのだと思っています。意志は貫いたけど、相手の思想を覆すだけの反論はできなかった。その意志もやがて強迫観念的に自身を追い詰め、興味本位でやってくる人々に精神をやられて自ら命を絶ってしまった……。

まあ、ジョンはそれでもよくやったと思います。母親がよそ者だったことからのけものにされ、母親の苦しみを見続け、1人で何もかも常識はずれの世界に放り込まれて、正常でいられる方がおかしいですからね。

個人的にはバーナードがお気に入りです。彼が一番人間臭いというか……コンプレックスを抱えて疎外感を抱え、条件づけに従って生きる人たちを冷笑的に見ていた彼も、周囲からちやほやされはじめると途端に享楽に溺れて埋没してしまうところとか、すごくよかったです。小物っぽくて。

まあしょうがないんですけどね。バーナードも皆と同じように条件づけセンターで育ち、文明社会の価値観を植え付けられていて、シェイクスピアや難しい科学のことなんかは全く知らないのです。ただ少し皆と外見が違っていたから劣等感に苛まれ鬱屈した気持ちを抱えていただけで、反動でああなってしまうのは当然だと思います。


読む前からあらすじを聞いて「え、なにそれ理想の社会じゃん」と思っていた私ですが、読み終わった後もそれは変わりませんでした。科学技術の発展や為政者への風刺としてこの作品が書かれたらしいので作者の意図とは異なってしまうかもしれないですが、絶対にあの社会のほうがいいと私は思います。

歳を重ねた人ほど、ムスタファ・モンド(というか文明側)の思想に共感してしまうのではないかと思います。私は共感しまくりました。特にこれ。

現実の幸福は、みじめな状態の過剰補償に比べればつねに卑小なものだ。また言うまでもなく安定性には不安定性のような派手なところがない。現状への満足には不運との果敢な闘いの持つ壮大さがなく、誘惑との苦闘や、情熱や疑いへの致命的な敗北傷が持つ華麗さがない。幸福とは偉大なものではないんだ

もう……それな〜〜!!!です。

現実で好まれるのはいつもジョンのような思想です。自由を求めて戦い、傷つく感動の物語。でも、空想の世界ならいざ知らず、現実に生きる私達がそんな不安定な環境にわざわざ身を置くのは自分を傷つけているようなものだと思います。

こういうことを考える時、以前読んだ進撃の巨人やサンホラのmoiraを連想します。彼らは自由を求めたが、その先にあったのはさらなる苦難の道でした。自由を欲したのは現状が不満だからです。敵に虐げられるのはたくさんだと、幸せになりたいと立ち上がったのに、幸せにはなれなかった。自由と幸福は両立しないのです。

現実の世界で考えてみても同じです。もちろん、不当な抑圧や暴力を肯定するわけではありません。長い歴史の中で人類が自由を掲げたのはそれらから脱するためですが、しかし自由になって人々が幸福になったかというと疑問です。いくらかマシになったとしても、それは不完全な幸福です。

自由とは自分の不始末や能力の違いを、全て自分が背負わなければいけないということです。障害があっても、人より容姿が劣っていても、勉強ができなくても全部自分の問題、そして一部の有能なものだけが美味しいところを持っていく。この格差は、どうやってもなくなりません。弱いものは弱いまま生きなければならず、強いものは好きにできる。なるほど自由は強者にとって都合のいいものですね。

すばらしい新世界の仕組みにも格差というか、身分制度がかなりはっきりあります。しかし条件づけのおかげで下の身分の者が上の身分の者に敵対心や羨望を抱いたりはしないようになっています。

ある意味では洗脳に近いものですが、それで社会が安定し、個人も幸福に生きられているのです。そして何かあれば合法麻薬を飲んで何もかも忘れられる。苦しみが絶えず生き続けなければならない現実と、倫理や道徳なんてあったものじゃないけど現状に満足したまま死ぬまで過ごせる社会、幸福なのはどちらなのでしょうかね?不幸になる権利は、本当に必要なのでしょうか?

またヘルムホルツは文明の娯楽を「白痴のしゃべる物語」と揶揄しましたが、幸福であるためにはある程度白痴的であることも必要だな、と思いました。いつも私は無知は罪であると信じてやみませんが、それは自己防衛のためです。自由な社会においては、情報を多く持っていなければ食い物にされてしまう。

かつて科学に携わり真理を追い求めたムスタファ・モンドと何も知らない労働者ではどちらが幸せそうかなど一目瞭然です。何も考えず、整えられたレールの上を走っている方が絶対に幸せなのです。それは人間としてどうなのか?と思う自分もいますが、それは現実社会で培われた価値観に過ぎませんから、無視すべきです。

誰も苦しい経験などしたくない、人間は幸せに生きるべきだという考えが根底にあるので、あの世界はまさに理想郷に見えました。フリーセックスだけはちょっと……と思いましたが、やはりそれもあの世界に生きていれば抱くことすらない考えです。

疑問点をいくつか。上の文章で文明社会を新世界と書こうか迷ったのですが、すばらしい新世界とは、この文明社会ではないのかな、と思いました。ジョンが母親から聞いて膨らませた想像の世界、それがすばらしい新世界なのかなあと。結局文明社会はジョンの心のなかにあった新世界とはかけ離れていたわけですが。現実との乖離に直面するたび「すばらしい新世界!」と心のなかで言っていたので、なんか皮肉的な意味もあるのかな?

あと、最後まで読んでも時折出てくるミランダという女性の正体はわかりませんでした。見落としているのでしょうか。

それから、野蛮人で危険な思想を持つジョンを実験と称して島送りにしなかったムスタファ・モンドの判断も?でした。彼が活動したら社会の安定性が揺らいでしまうかもしれないのに放置したのは、民衆が彼の思想を理解するだけの能力を持たないと思ったからなんですかね?結局彼は物珍しい動物でも見るように消費されてしまったわけで、そこまで見通していたならすごいですね。

とまあ、こんなことを考えていました。多分着目すべき点はもっと他のことだと思うのですが、あえて間違う恐怖に立ち向かってみました。

あーーめっちゃ書いた。夢小説は1000文字も進まないのに……。

とにかく面白かったです。フォロワーさんからおすすめされた小説もたくさんあるので、今まで本を読む習慣がなかった分、これからも色んな本を読んでいきたいです。おわり